神田川_柳橋神田川と柳橋「橋のある風景」 江戸情緒を求めて、柳橋-界隈を散策しました。舟宿が数軒あり、午前中でまだ通りに人が少ない時間では、和菓子などを店先に売っていました。近所の人たちが暖簾をくぐり談笑したり、くつろぐ風景がありました。東京の一角ですが、静かなところです。神田川を下る曳き舟の音がするぐらいです。 かもめでしょうか、杭毎に羽を休めていました。 現代の舟遊びとしては、料亭の料理を食べながら、隅田川を遊覧するという趣向です。 JR両国駅を出て、隅田川方向へ200m、堤防沿いを下流へ300m、両国橋を西に渡れば、中央区東日本橋にでます。柳橋は隅田川右岸、両国橋の上流すぐ(100m)のところに注ぐ神田川にかかる第一番目の橋です。 絵は神田川の右岸(中央区)より隅田川方向(東)を向かってみた、柳橋です。 対岸(絵の左側)は台東区・柳町、右側が中央区東日本橋、この景色の向こう隅田川の対岸は墨田区、両国の国技館があるところです。 首都高の向島線が対岸にそって北上しています。柳橋の向こう、左右に走る高架がそれにあたります。 橋の両側の袂に、舟宿があり、(絵では「小松屋」という舟宿が橋の両側にあります。)左岸に5軒ほどの舟宿がコンクリートの岸に建っており、舟宿の階段をおりて、舟に乗りこむようになっています。 事典: 柳橋 神田川1番目の橋。 架設は元禄の下町大火後の元禄11年(1698)、鉄橋になったのが明治28年(1895)。現在の橋は昭和4年の完成である 柳橋から浅草橋にかけて、岸の両側に屋形舟の舩宿が並びます。ここでは、船という字を使わず、舩(ふね)という字を使っています。 浅草橋 神田川の2番目の橋が、浅草橋(寛永13年(1638))築。日本橋から奥羽へ向かう主要街道の橋として栄えました。現在は、江戸通りにあたります。 神田川 神田川の歴史は江戸市街経営に係わる元和2年(1616)に始まります。神田川は、三鷹市井の頭池に発し、杉並区善福寺池の末流善福寺川と合し、新宿下落合で妙正寺池より発した妙正寺川を容れて東流(高田馬場北200mから文京区と新宿区の境界を流れ)、文京区関口に至って江戸川(江戸川橋が架かっています)となり、千代田区飯田町から水道橋に至り、神田台の切り通しを抜けて左衛門町を通り、柳橋で隅田川に注いでいます。 散策コースやrunningコース 飯田橋から柳橋まで神田川沿いを歩くコースや、 さらに、両国橋を東に渡り、月島まで隅田川左岸(江東区側)の遊歩道を南下するコースなど江戸情緒を満喫できます。 実は、前段にAWCのアベ隊長自ら単独で、神田川を源流の井の頭公園から飯田橋まで2回に分けて下ってきた。 その最後の行程が、飯田橋から隅田川、さらに東京湾に出るまでのコースである ジャンル別一覧
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